二度目のキスについて

「ファーストキスについて」に続く、キス分析第二弾です。

私はいったい何をしようとしているのか、という心配がなくもないんですが、ここで躊躇していたら、さらにエロい場面の分析ができなくなってしまいます。

二度目のキスの場面

問題の箇所を抜粋しました。少々、というか、かなり長いですけれど。

「表面的にいくらきれいごとを言っても、ほとんどの人は自分だけよければいいと思って生きてるわけだろう」ぼくはつづけた。「自分だけ美味しいものが食べられればいい、自分だけ欲しいものが買えればいい。でも人を好きになるってことは、自分よりも相手の方が大切だと思うことだ。もし食べる物が少ししかなければ、ぼくは自分のぶんをアキにあげたいと思うよ。限られたお金しかないなら、自分のものよりもアキの欲しいものを買いたいと思う。アキが美味しいと思えば、ぼくのお腹は満たされるし、アキが嬉しいことは、ぼくが嬉しいことなんだ。それが人を好きになるってことだよ。これ以上大切なことが、他にあると思うかい? ぼくには思いつかないね。自分のなかに人を好きになる能力を発見した人間は、ノーベル賞のどんな発見よりも大切なことを発見したんだと思う。そのことに気づかないなら、気づこうとしないのなら、人間なんて滅びた方がいい。惑星でもなんでも衝突して、早く滅びてしまった方がいいよ」
「朔ちゃん」宥めるように、アキがぼくの名前を呼んだ。
「ちょっと頭がいいから、自分は人より偉いと思ってるやつなんて、ただの馬鹿じゃないか。そういうやつには、一生勉強してろと言いたいね。金儲けだって同じだよ。金儲けの得意なやつは、そればかり一生やってればいいんだ。そして儲けた金でぼくらを養ってくれればいい」
「朔ちゃん」
 二回目に名前を呼ばれて、ようやく口を噤んだ。アキの困ったような笑顔が間近にあった。彼女はちょっと首をかしげて、
「キスでもしませんか」と言った。

純愛を語りながら暴走するサク。
映画やドラマしか知らない人は意外に思うでしょうが、小説のサクはこんなものです。
頭が良くて、理屈っぽくて、突っ走るタイプ。いざとなったら島まで引っ張ってきてしまうような。

この後実際にキスをした場面の描写はないのですが、まず問題ではないでしょう。
据え膳食わぬはなんとやら、ですよね。

キスの動機

今回は図書館での昼休みの場面です。
ファーストキスの時のような、ロマンティックなお膳立てがあるわけではありません。
それでも、アキが「キスでもしよう」と思った動機を、この長いセリフに見出すことはできます。

サクがアキに面と向かって「好きだ」と言う場面は、小説全編を通して一度もありません。
中学の頃に付き合い始めて、高校の頃には恋人が「公然の事実」。状況に甘えて「好きだ」を言わないだなんて、まるで長い付き合いの夫婦のようです(サクとアキは夫婦じゃありませんが)。

しかし、サクはこう言ってます。「自分のぶんをアキにあげたい」と。「自分のものよりもアキの欲しいものを買いたい」と。暗に「アキが好きだ」と言っているかのようです。
アキには、それが嬉しかったのではないでしょうか。

キス「でも」とは?

まだ続けます。

アキのセリフは「キスでもしませんか」です。
なんだかヤケに軽い感じのキスのお誘いに見えますが、どうして、キス「でも」なのでしょうか?


「でも」という助詞は、現在進行中の物事を中断・中止して、他の物事を勧める時などに用いられます。
たとえば、勉強に亜紀飽きたからゲームでもしよう、などのように。

では、キスと対比される、中断・中止された物事とはいったい何でしょうか。
もちろん、サクが長々と語った人生哲学(あるいは恋愛哲学?)のことに決まっています。

つまり、こういうことなんですね。
頭の中で難しいことを考えるのはやめて、ちゃんと生身の私を見てね、と。

ストレートに言えば角が立つ言葉を、なんとキスの誘いに変換してしまったアキ。素敵です。
しかしセカチューは、そんな素敵なアキが死んでしまう物語です。

余談

あるいは、キスでもすればサクの口が塞がれるから、困惑しちゃうような哲学をしゃべられずに済むかも、というアキの作戦だった可能性もあるかとは思いましたが、それはさすがに邪推に過ぎますよね。
(だったら書くなって?)