半分の月がのぼる空

今夜は、半分の月が出ています。
こんな夜には、こんな小説のことを思います。


主人公は、パッとしない高校二年生。
ヒロインは......余命が長くありません。
それはもうあの手この手を使って、二人の未来をこの手につかもうとするわけですが。

第五巻。
ここで登場する二人が主人公&ヒロインではない、とあらかじめ断ってから引用します。


「え? なに?」
「ほら、そこの紫陽花」

(中略)

「桜のほうがいいよ。すぐ散っちゃうもん。終わったら、切り替えられるし。だけど、こんなふうにいつまでも花が......それも全然きれいじゃない花がついてたら、いつまでたっても切り替えられないよ。引きずりっぱなしになっちゃう」

紫陽花と桜? どっかで見た花の組み合わせですね。

次は第一巻より。

僕は願う。
いつでも、どんなときでも。
(里香をつれていかないでください――)
そう繰り返す。


セカチューこと『世界の中心で、愛をさけぶ』は、いろんな人にボロクソに言われました。
恋人が病気で死ぬ設定が陳腐だからとか、そんな理由で。

『半分の月がのぼる空』の第一巻が刊行されたのは2003年10月。
ちょうど、セカチューがブームを巻き起こしていた時期と一致します。

さあ、私の前で酷評してみてください。半月はセカチューのパクリだと。

ただ、殴りますけどね。その人を。


あらゆる物語は、既存の物語を焼き直したものである。
私ごとき者があらためて言う必要もなく、どんな小説論にも書いてある事実です。

だったら、いろんな焼き直しの物語を面白く読めば、それでいいじゃないですか。
裕一と里香が手を伸ばす様子を、精一杯応援すればいいじゃないですか。

『半分の月がのぼる空』はライトノベルです。
重苦しいテーマを、ライトノベルのレトリックで薄めたことでバランスを取っています。
全八巻を煮詰めてエッセンスだけを取り出せば300ページくらいの文庫本になるんでしょう。
それを読んだらきっと打ちのめされることになるんでしょうが、きっとそれは面白くない本だと思います。重すぎて。
だって、物語にはメリハリが必要ですから。大きい波の間に小さい波を繰り返すことで、物語は成立するものですから。
ライトノベルというジャンルで、そのあたりのバランスを取ろうとすると、全八巻の構成になるのでしょう。

半分以上が病院内で展開する小説だけあって、「大事な人の死」がずっとつきまといます。それがセカチューよりずっと多いことも、セカチューよりも強く胸をしめつけることも、請け合います。
そして、「大事な人を亡くした後」のこともいっぱい描かれています。セカチューに残されているのは、ラストシーンの切れ味しかないかもしれません。

でも、セカチューという物語のメリハリはまさにあのラストシーン、桜吹雪の舞う中です。
未来に生きるサクの姿が、重い物語を最後に救うんです。
あの切れ味を胸に抱き、今日も私はカバンにセカチューの文庫本を忍ばせます。