柴咲コウ

セカチューブームの立役者

『世界の中心で、愛をさけぶ』の初版は2001年。当時は8,000部しか刷られませんでした。
その後、書店員のPOP広告などによって地道に冊数を増やしていき、恐らくそのPOP広告を見た柴咲コウがこの本を手に取った瞬間から、ブームを通り越して社会現象にまでなったムーブメントが始まったのです。

泣きながら一気に読みました。
私もこれからこんな恋愛をしてみたいなって思いました。

彼女が雑誌「ダ・ヴィンチ」2002年4月号に寄稿した書評の一節は単行本の帯を飾るコピーとなり、そのコピーは単行本を史上空前となったトリプルミリオンセラーにまで押し上げました。

かくいう私も、そんなムーブメントに乗っかって本を手にした、何百万人のうちのひとりです。彼女がおこしたムーブメント無くして、私がセカチューに触れることはなかったと断言します。


まさに爆発的に本が売れたために、映画やテレビドラマが作られ、それら二次作品がヒットすることで本の売上がさらにアップする、というメディアミックスの相乗効果が見事に表れたのも、ご存じのことでしょう。
そして、柴咲コウは映画やテレビドラマの両方にも関与しているのです。
(映画は藤村律子役で出演、テレビドラマは主題歌の作詞・歌)

「セカチューブームを築き上げたのは誰か?」と聞かれたとしたら、私は迷わず柴咲コウの名を挙げますが、あながち的外れでもないでしょう。

純愛路線の功罪

さて、柴咲コウの書評から伝わってくる、セカチューのイメージとはどんなものでしょうか。

この本は、泣ける本です。そして、恋愛小説です。
しかし、私が既に何度となく述べていますように、セカチューは恋愛小説とはいえません。そして、恐らく泣ける本でもありません。

もちろ、作詞を手がけることでも知られる柴咲コウが、その豊かな感受性をもってセカチューの恋愛に共感したり、時には泣いたりするのは構いません。むしろ、本を読んで感情が動かされるというのは、幸せな読み方だとさえ思います。

しかし、帯のコピーにつられて買った人はどうなったのでしょうか?
「売れてるんだったら読んでやろうじゃないの」と斜に構えて読んだ人は、どんな感想を抱いたのでしょうか?
おそらく、コピーから抱くイメージとは全く違うテーマを持った小説とのギャップに愕然としたはずです。ましてや、斜に構えてた人に対しては格好の燃料を投下したのではないでしょうか。


私は、彼女の書評は好きですけどね。少なくとも「泣けない三文小説」なんてけなす人よりはずっと生産的で、好感がもてます。
でも、書評より『かたち あるもの』の方が好きですけど。